ラスプーチンなど、世界で最も奇妙な死に方をした人たち6選

ラスプーチンなど、世界で奇妙な死に方をした人たちを紹介します。

1.「ラスプーチン」

ラスプーチン

アナスタシア』というアニメ映画を子供の時に見た人も多いと思います。

その『アナスタシア』に出てくるのが、帝政ロシア末期の祈祷僧である「ラスプーチン」です。ラスプーチンはその祈祷能力を用いて皇帝に巧みに取り入り、自らの力を強めていきました。

「ラスプーチン」の力を恐れた人たちは、ラスプーチンの暗殺を試みました。しかし彼の死は、実際は映画のように単純なものではありませんでした。

宮廷貴族たちはまず、この「無敵の男性」に「シアン化合物」を与え、毒殺しようとしました。しかしラスプーチンは毒を盛られても平然としていました。そこで次に、銃でラスプーチンを撃ちました。そしてリビングルームにラスプーチンの遺体を残しました。しかし戻ってくるとラスプーチンはまだ生きていて元気そうだったのです。

そのため、さらにラスプーチンを銃で何度も撃った後、とどめとしてハンマーで頭を叩き割りました。しかしそれでもラスプーチンは元気だったので、さらに頭を叩き、ようやくラスプーチンの意識を失わせることに成功しました。そして意識を失ったラスプーチンをシートにくるみ、川に投げました。

2日後、ラスプーチンの遺体は川から引き上げられました。しかしシートを外そうとしたのか、ラスプーチンの片腕はシートから外に出ていました。

2.「川の月」

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この有名な詩は、唐の時代の珍しい死に方を表しています。水に映った月を抱きしめようとして、ボートに乗った男が溺れてしまうという話です。ある人にとっては、美しさが何より大切なのです。それで死んでしまっても。

3.「「死ぬ程」食べた王様」

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スウェーデンの王様「アドルフ・フレドリク」は、文字通り「死ぬ程食べた」人です。

アドルフ・フレドリクは「ロブスター」「キャビア」「ザウアークラウト」「魚料理」を食べ、「シャンパン」を飲んだ後、さらに14種類のお気に入りのデザートを食べました。

その食後すぐにアドルフ・フレドリクは死にました

おそらく食べすぎのため死んだのでしょう。しかし彼はきっと死んでもいいから美味しいものを食べたいと思ったのかもしれませんね。

4.「無罪を証明するため、法廷で自殺した弁護士」

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バーで起きた殺人事件の裁判で、弁護士は依頼人の無罪を主張しました。

その理由として「犠牲者」はポケットから銃を取り出し、ひざまづいた姿勢で銃を自分に発射したと主張し、「殺人」ではなく「自殺」だとしたのです。

そしてそれを実際に行って見せるため、弁護士は銃を自分に向けて引き金を引きました。すると弾が発射され弁護士は死んでしまいました。その弁護士は銃に弾が入っていないと思っていたのですが、実際は銃には弾がきちんと入っていたのです。

5.「皮肉な死」

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カナダのトロントにあるドミニオン·センターで、ガリー・ホイは「ガラス」が割れないことを示すため、自ら高層ビルのガラスに体当たりしました。彼はいままで一度も失敗したことがありませんでした。

しかし今回の試みで彼は死んでしまいました。ガラスがフレームから外れてしまい、彼はガラスごと高層ビルの24階から落下してしまったのです。ガラスは彼が地面に落ちた時に初めて割れました。ある意味で彼の証明は間違いなかったのです。

6.「山のミステリー」

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ロシアの山で8人の登山客が亡くなりました。しかしこの8人の死は謎に包まれています。

4人の遺体は峡谷で見つかりましたが、外傷は全くありませんでした。しかし彼らの体の内部に、車に衝突したのと同じような傷がいくつか見つかったのです。そして女性の舌は切り取られていました。

4人は死んだ仲間の服(後に放射能が検出されました)でくるまれており、残りの仲間は裸のまま死んでいました。一人は頭蓋骨を骨折していました。いまだ彼らがなぜ死んだのかはわかっていません。

これはディアトロフ峠事件といい、映画化もされている有名な事件です。

ディアトロフ峠事件(ディアトロフとうげじけん)とは、1959年2月2日の夜、当時のソ連領ウラル山脈北部でスノートレッキングをしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件である。事件は、ホラート・シャフイル山(Kholat Syakhl、Холат-Сяхыл、マンシ語で「死の山」の意[1])の東斜面で起こった。事件があった峠は一行のリーダーであったイーゴリ・ディアトロフ(ディヤトロフ、ジャートロフ、ジャトロフ、Игорь Дятлов)の名前から、ディアトロフ峠(ジャートロフ峠、ジャトロフ峠、Перевал Дятлова)と呼ばれるようになった。

当時の調査では、一行はマイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出したとされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体は舌を失っていた[2]。 さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射能が検出された。
事件は人里から隔絶した山奥で発生し、生還者も存在しないため未だに事件の全容について不明な点が残されている[3][4]。当時のソ連の捜査当局は“抗いがたい自然の力”によって9人が死に至ったとし[3]、事件後3年間にわたって、スキー客や探検家などが事件の発生した地域へ立ち入ることを禁じた[2]

ディアトロフ峠事件

via:Strangest Deaths Ever

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